2010年10月24日
 ■  小石原焼COCCIOプロジェクト

福岡県立美術館の小石原焼と小鹿田焼展に行きました。そんなに興味がるわけではなかったのですが、展示の中で「小石原焼COCCIOプロジェクト」というのを知りました。大量生産大量消費の世の中で、物があふれる現代で、こだわりの食器を使い続けることで、家族の思い出の中に食器が入る。必要なものだけを買い足せば良い、というエコな考えに加えて、じゃー伝統工芸は歴史もあり守るべき文化には違いないが、現代人に必要なのか、ということを考えた。伝統から何を受け継ぐか、それは祖先が育んで来た本当の知恵を見出すことである、なんてことをひたすら考えました、というプロジェクトのようです。
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当ブログの中のカテゴリに豊かさというのがあるのですが、豊かさを考える上で、資本主義のあり方ということも避けて通れません。とは言え、すぐに流通のない世の中には戻れそうにもありません。そんな中でもスローライフということで、農業が見直されて、伝統工芸とか歴史を見直す風潮があるのは間違いないようです。自分なりの暮らし方を考えるよい機会でした。小石原焼の方々の昔からの大切にしている理念は、高く売ることではなく、買った人に喜んでもらうことだそうです。

ところで、小石原焼の元になったのは直方の高取焼だそうです。ブラボー!

投稿者 fujix : 18:08 | コメント (2)
2007年07月30日
 ■  東洋経済より「日本と英国」

選挙が終りましたね。最近の日本の国会は「悪人作り」の時間ばかりの報道が多かったようなので、そろそろ未来に向けての政治をしっかり行って、その辺も映して欲しいものです。

さて、東洋経済7/28号の特集は「日本と英国」でした。イギリスが10年の間に豊かな国になったことは、野口悠紀雄氏も常々言っていましたが、具体的にどんなことが行われたか、非常に興味深く読みました。

一番大きかったのは製造業から金融業へシフトしたこと。さらに失業者を徹底的にフォローするセーフティネットの構築や、最低賃金制の導入など、豊かではない人たちに焦点を当てた福祉重視の社会民主主義とも言える政策です。金融に関しては、昨年は東証のシステム停止やライブドアなどの上場廃止など事件が相次いだ日本市場はまだまだ世界の信用を得るには程遠いようですね。

そして医療福祉分野でも、医療分野の荒廃が進んでいたイギリスは97年以降、医療費を3倍弱までアップさせ、医療スタッフを大幅増員させました。結果待ち時間は短縮、地域格差も縮小されました。待合室の待ち時間もですけど、手術まで何週間も予約待ち、ってことが無くなったってコトです。

そもそもイギリスの医療の崩壊の原因は、医療費削減政策でした。市場原理を医療に導入すると価格競争や病院間の競争の活性化につながります。活性化と言うといいことのようですが、コスト意識という面では良いのですが、結局患者の奪い合いになったり、医師の待遇悪化で医師が海外や都心に流出し、だんだんと医療の荒廃が地方から始まり、どんどん進んでしまいました。まさしく現在の日本を見るようですね。医療はコストだけでは考えられませんから、安易に市場原理を持ち込むと危険です。

国の予算の中で医療費は増やすべきですが、その前提として、イギリスでは国民の信頼を得るべき、医療の質の評価の基準設定説明責任を果たす仕組みを国が率先して行いました。これから、日本でもこのような改革は必要で、そのためには公共機関だけではなく、NPOや民間組織も参加しないといけません。そしてGDPに占める総医療費支出の割合の低さはG7諸国で最低となりつつある現状を打破すべく、医療費を増やしていくべきだと思います。イギリスではまだ医療分野が赤字で問題点は残っているようですが、良い見本だと思います。

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投稿者 fujix : 19:26 | トラックバック
2007年06月13日
 ■  キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか?

ヘンなタイトルですが「豊かさ」を考えるシリーズです。今回は精神的な豊かさを考えてみたいと思います。
ボランティアでネパールに行った際、街角で遊んでいる子どもの多さに驚きます。最近日本ではあまり見ることのない風景です。物騒な世の中なので、子どもだけで公園で遊ぶのも心配な気持ちはあるでしょうね。でも私が子どもの頃は、公園なんてのはみんなの遊び場で交流の場でもありました。野球をしてたら、知らない上級生や大人が混じってきて、自分の打順がなかなか回ってこなくなっちゃったり、半ば迷惑だなあ、なんて思いつつそれなりに楽しんでいたものです。今思えば現在よりも「豊かな」社会と言えますね。

タイトルの本は、日常生活の中でちょっとした勇気を持ってなにかをやってみよう、という実験を綴った本です。電車で知らないオヤジに話しかけて飲みに誘ってみよう、とか、ゴールデンウィークのお台場で孤独な男たちと人生を語り合う、とか大いなる実験とその結果が面白おかしく書かれてます。

その中に「公園で遊ぶ子どもたちと話をする」っていう話がありました。しかし作者はここで散々な目に遭ってしまいます。一緒にいる母親に遮られてどこかに行っちゃったり、クモの子を散らすように走って逃げられちゃったり、話しかけるだけでも犯罪者扱いなのです。

これは公園で遊んでいる子どもたちが被害に遭う事件が多発しているだけに、致し方ないことなのかもしれません。今後は子どもを守るシステムも必要かと思います。でもそれはどこかの警備会社にお金を払って依頼する、ということではなく、地域の人たちが自ら進んで行うことかと思います。かと言って私が今日から公園で子どもたちに声を掛けても本の作者と同じような反応になっちゃうかもしれません。まずは私が安全な大人であることを地域全体に認知されること、そしてそういう大人がたくさん増えていくことが必要です。幸いなことに歯科医師は地域の人と顔見知りになる機会が多いためちょっとアドバンテージがあります。なんだかよく見かける地域のオッチャン「その正体はこっそり地域を守る安全な大人」を目指して少しずつ挨拶運動をしていきたいと思います。

投稿者 fujix : 06:56 | コメント (2)
2007年06月01日
 ■  「豊かさ」は終わったか

「日本は経済大国であるが、豊かな国ではない。」「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書の中で、著者はこう言っていました。モノは足りているけれども、それだけで果たして豊かと言えるのか?という話です。

一つには精神的な豊かさがあげられます。もう一つ、経済学的に考えるといろいろと面白いことがわかります。今回はPHP新書「日本の反省~豊かさは終わったか」飯田経夫著より、抜粋して「豊かさ」を考えていきたいと思います。

現在の日本は買いたいものはほぼすでに買ってしまい、新たに欲しいものはほとんどない、という状況です。パソコンや携帯が広まってしまい、かつての3C家電などの大ヒット商品はしばらく出てこないといわれています。欲しいものが無いから買わないだけでも、消費が不振と取られてしまう不思議な不況でもあります。例えば今絶好調の任天堂の業績が来年度下がったとしたら、それはほとんどの人がニンテンドーDSを買っちゃったことが原因だったとしても、不景気のせいになってしまうかもしれません。

このような物質的な豊かさをもたらした日本経済の成長はすばらしく、それを支えた世代の勤勉さに感謝すべきであります。が、どんなにすばらしいライフスタイルでも、ある一定期間経過するとだんだん「黄昏期」を迎え、「行き詰まり」を迎えてしまうそうです。「豊かさ」に「飽き」てる状態です。

この状態が続くと、これまで右肩上がりの成長に慣れてしまっている日本人はモノの豊かさに行き詰まり、消費を止め、ものづくりは低成長、ゼロ成長の段階に入ってくると思われます。それを悲観論好きな日本人はネガティブに不景気と捉えてしまいがちですが、経済成長を目的としない、新たな生き方に転換するチャンスなのかもしれません。

で、新たな生き方とは「心の豊かさ」であったり、「QOL(Quolity Of Lifeの追求」であったり、「シンプルライフ」「スローライフ」であるのではないかと思います。今こそ、精神的な豊かさを追求するチャンス!ではないでしょうか。

ここから先妄想ですが、最近ニートやネットカフェ難民という若者の生き方を否定的に報道されていますが、もしかしたらそういう自由な生き方の中から、新しいビジネスや生き方が生まれてくる可能性もあるのかもしれませんね。

2007年05月09日
 ■  ちくま新書の「これも経済学だ!」中島隆信著その2

前回からの続きです。最初にこちらからお読みください。

豊かな生活を考える上で、生き甲斐や働き甲斐も必要ですが、今回は2005年秋にいきなり成立した障がい者自立支援法について話を始めていきます。

「障がい者自立支援法」は保護される弱者ではなく、自律する一般市民を目指す障害者に対し周囲が協力することを前提とした法令ですが、事前に周知されることなくあっという間に成立しちゃったものだから、かなりの戸惑いがあったものと思われます。

しかしそのきっかけとなったのは、世話をされる側に主体性を持たせる制度、つまり行政が弱者を措置するのではなく、弱者サイドがサービスを受ける消費者の立場として施設を選べるようにしよう、ということであったようです。

これは障がい者にとっても、巨大施設で管理された生活を送るよりも地域の中で自由度の高い暮らし方を選択できるという利点があります。施設は「終の棲家」を提供するのではなく、地域で普通の暮らしができるように支援する通過施設へと移行することになりました。

コンセプトとしては間違っているわけではないと思うのですが、あまりに急だったこと、そして梯子をはずすかのように、関わっていくヘルパーらの医療報酬が減らされてしまったことが現場を混乱に導いているようです。政策としてはかなりの荒治療ですが、ここから地域の力で社会保障を含めた住民のインフラ作りを行っていかなければならないのでしょうか。

「これも経済学だ!」の著者中島隆信氏は最後にこう結んでいます。「弱者だから」という理由だけで政府による所得再配分を受けてしまったら、国民から「弱者」としての身分が与えられ、その範囲でしか行動できなくなってしまう。所得を稼ぐ能力に欠ける人たちに弱者というレッテルを貼って保護するのではなく、すべての国民が普通の人間として生活していくことを目指すことが望ましい。そのためには税金による政府の所得再配分は最小限にし、別の形の支援(有志的な支援など)が望ましい、と言います。

近年の政策は特に保健医療分野で厳しいように思えますが、ここから本当にすべての人々が豊かに暮らせるような方法や仕組みを考えないといけないのでしょう。それにはかなりのブレイクスルーが必要に思えます。いろんな意見交換が重要ですね。


投稿者 fujix : 06:39
2007年05月08日
 ■  ちくま新書の「これも経済学だ!」中島隆信著

幸せやQOLについて考えようシリーズです。

前回「豊かさとは何か」で、豊かさの条件の一つに「社会保障」を挙げました。皆で助け合って生きよう、という保健福祉の充実は大切なことなんですが、誰もがそうとわかっていても必ずしも政策に反映されないのは、他に何か理由があるからとしか思えません。特に経済学者には社会保障に反対する意見が多いようです。なんて経済学って冷徹なの?と思いますが、そこにはちゃんとした根拠があるようです。

今日から2日に分けて、は経済学の視点から社会保障を考えていくためにちくま新書の「これも経済学だ!」中島隆信著を参考にまとめていきます。

格差社会。勝ち組負け組。ワーキングプア。ニート、引きこもり。ホームレス。などなどの最近の社会問題のキーワードからも社会的な弱者(弱者という言葉が適当とは思いませんが、ここではこの本のまま進めます)の存在が浮き出されています。

現在の日本の医療制度や社会保障は国民負担が上がる一方であるため、以前と比べると厳しい状況であることは一目瞭然です。国からもっと支給されれば助かることは間違いないのですが、経済学者の多くは弱者保護に否定的な立場をとっています。

働けば報酬があり、働かないと報酬が無い、というインセンティブも経済学的には必要です。勿論現代の問題点は働きたくても雇用者がいないとか、一生懸命働いているのに賃金が安い、ということなのではありますが、一斉に政府が援助するのも難しいかと思います。もしも働いていない人に月30万円を支給しましょうということになったら、だれもまともに働こうとしなくなるからです。

これでは有益な労働資源も無駄になりますし、一度認定してしまうと取り外すのが大変になります。またその認定にもコストがかかってきます。またどの程度まで社会保障するかは現在までコンセンサスが得られているわけではなく、これからも難しい問題となるでしょう。

われわれの目指す「豊かな生活」は消費や余暇生活のみでも実現できるわけではありません。自分の能力を発揮できる仕事に就くこと。仕事の喜びが先にあり、カネは後からついてくる、というような生きる喜びを生み出せる制度作りも必要のようです。

このような考えがいきなり法令になっちゃったのが、今回は2005年秋に成立した「障がい者自立支援法」です。が、詳しくは次回へ続きます。

投稿者 fujix : 05:50
2006年12月27日
 ■  職縁社会から好縁社会へ

週刊ダイヤモンド12/30・1/6合併号「丸ごと一冊総予測2007」に面白い記事がありました。作家の境屋太一氏のインタビューの中で「職縁社会の崩壊が日本人のライフスタイルを根本から変える。」という部分です。
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崩壊と言えば大袈裟ですが、会社人間という言葉があるように、これまでは仕事一筋会社一筋という生き方だったのも事実だと思います。それはそれで尊敬に値しますが、仕事以外の時間が無いとか、定年後に目標を失ったり、といったような弊害もあったのも事実です。

これが、来年のキーワードである団塊の世代の定年と共に、職場のつながりで行動する人たちが、好縁社会へ移行するというのです。好縁、つまり、「好きなものの縁」です。趣味など楽しみ、自分が好きなことを探すこと、そしてそれに邁進するために家計を考える生き方を、今まで会社人間だった世代が始める、ということです。一方、若者文化はオタク文化に代表されるよう、すでに好縁社会が始まっています。インターネットを通じて、好縁で人が集まり、職縁よりも濃い友達付き合いをしている方も多いのではないでしょうか。

幸せな人生、豊かな生活という観点から見れば、歯車の一つとして生きていくよりも好ましいことでだと思います。さて、みなさんは好きなことがありますか?本当に好きなことの基準は、「並以上にやっても疲れない、誰と会ってもその話をしたいと思う」ことだそうです。こんな事を好きと言ったら職場の仲間に笑われるといった職縁社会の発想を捨て、自分の好きなことを探してみるのもいいのではないでしょうか。


投稿者 fujix : 07:19
2006年12月23日
 ■  「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書 その4

最後は共同消費、社会化された消費、つまり社会保障や公共サービスについてです。特に社会保障については私たちの健康に直結していますが、最近は削減削減で一両三方損なんてよろしくない言葉もあるくらいです。

しかし病気や怪我、老化も含めて人間にはつきものですし、失業、定年退職などによる所得の中断も本人が真面目に働いていても起こるものですから(本文には資本主義社会の構造的な欠陥とも書かれてありました)、社会的な救済はあって然るべきかと思います。

対し、福祉を充実させると人間は怠け者になる、むしろ見せしめに不幸な人間を存在させる方が良い、というような反人権の考え方もあるのも事実です。不幸なニュースばかり流れているテレビを見てるとそういう考えの下で流しているのかな、と訝ってしまうこともありますね。

家族という共同体の中では、弱いものほど大切にされ、いたわられています。歴史的に見ると、これと同じように共存の社会原則を尊重してきた国は繁栄しているようです。

ところが今の日本は、年金の問題、介護の問題、医療保険の問題も含めて解決していないことが多いようです。未来を考えるとちょっと憂鬱になります。アフリカのある村では、子どもが生まれたら村全体で育てようとするそうです。どこかの国の言葉ではダウン症の子どものことを「神の子」という意味で呼ぶそうです。ネパールの村でも誰かが病気になったらみんなで助け合おう、というところをいろいろ現地で見聞きしました。

世界で考えると、途上国と呼ばれている国のほうが、物質的には貧しいですが、豊かな生活であると言えるのではないでしょうか?

終わり

PS.私は今年は参加できませんでしたが、ネパール歯科医療協力隊第20次隊が本日12/23成田空港と福岡空港から出発しました。私もまたあの豊かな国に出かけたいものです。
ネパール歯科医療協力隊

「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書
「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書 その1
「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書 その2
「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書 その3
「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書 その4

投稿者 fujix : 08:09
2006年12月22日
 ■  「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書 その3

ちょっと間が開きましたが続きです。前回は労働の話でしたが、その勤労によって得たお金の多くは貯蓄に回り、その貯蓄が金融機関を通して土地の値上がりに使われます。地価が上がると真面目に働いてもマイホームが持てない、または住宅ローンに追われ、勤労の成果をすべて住宅に奪われているという皮肉な結果を起こしています。また地価の上がった狭い土地にぎりぎりの家を建てたり、高層マンションの一室に住んでいることも多いでしょう。

豊かさを語る上で、住宅の力は大きく、スイスの学者は、健全な生活の基礎として「部屋の力」「庭園の力」を挙げています。住宅の質がもっと高くなり、都市の環境がよくなれば、医療費も自然に低くなると言われています。これは、赤ちゃんの泣き声がうるさいと隣近所から苦情が出て、かっとなって事件に発展、というような住宅にまつわる悲劇からも言えそうです。

ドイツ人は人生を愛するように住宅を愛している、と言われています。住宅は人格の一部だと、ゆったりと美しい住宅で人生を送ることを幸せの第一条件としているそうです。昨日の夜、松居一代さんのお掃除特番やっていましたが、ああいうのもいいですよね。納得です。私もここの掃除カテゴリを更新すべく年末大掃除に励みたいと思います。

続く

「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書
「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書 その1
「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書 その2
「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書 その3
「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書 その4

投稿者 fujix : 07:12
2006年12月14日
 ■  「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書 その2

続きです。本書では豊かな社会という観点から、労働、住宅や地域環境、社会保障などを取り上げています。

労働に関しては、なにはともあれ、労働時間の短縮です。また労働のあり方を共存と福祉をひろげるようなものに変えるべきだと著者は言います。つまり、労働の喜びを感じられる職場、とか人間性の尊重、共存の原則というもので、オートメーション化、機械化により、人びととの共存、自然との共存を妨げている要素になっているようです。

日本人は労働時間通勤時間も長く、いつも時間に追われています。ストレスや寝不足も多いと思います。もともと「八時間労働」というのは、1日24時間を三等分したものを、
1働く時間・・・・・・・・・・勤務時間、通勤時間
2生理的生活時間・・・睡眠食事など
3文化社会的時間・・・レクリエーションなど
に分けて、三つとも必需なものだということからきているそうですが、明らかに働く時間が他の時間を圧迫していますね。

この点は当院(の労働環境)でも考えていきたいと思っていますが、ネパールで感じたことをちょっと。ネパールは貧しい国ですが、人々は豊かな時間を過ごしていると思います。人々の時間の流れがゆっくりで、一つのことを時間をかけてじっくり取り組んでいますし、なにもせずにぼーっとしていることも多いです。
このように、何かをすることと同時に、何もしないことの価値が認められているのも、また豊かなことではないかと思います。近所の人と井戸端会議をしたり、畑で何かを栽培したり・・・。現代日本では失われた時間なのかもしれません。

続きます。

「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書
「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書 その1
「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書 その2
「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書 その3
「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書 その4

投稿者 fujix : 10:50
2006年12月13日
 ■  「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書 その1

岩波新書の「豊かさとは何か」暉峻淑子著を読みました。私の活動拠点であるNPO法人ウェルビーイングという予防歯科の研究会で、日ごろ「幸福」とか「QOL」ということを、学んでいるんで、その延長です。

その中にこんな一文があります。「日本は経済大国であるが、豊かな国ではない。」・・なんとなくわかりますね。豊かな生活とはカネやモノだけではありません。大金持ちやなに不自由ない王様の不幸な物語は、貧乏な人の不幸な物語と同じくらい存在するようです。また、伝染病や戦争や公害や社会の混乱はどんな大金持ちにも襲ってきます。豊かな社会を作り出すためにまず社会的に必要なものは、社会保障や自然環境、公共の福祉ではないかと著者は言います。

確かにそうですね。しかし現在の日本は全くこのことと逆のことをしているようにしか思えません。制度を変えることは容易ではないですし、一開業医ができることは限られていますが、諦めずにこの問題を考えることが大事だと誰かが言っていました(誰か忘れましたが、netで見た記憶が・・)

有史以来、日本ではモノとカネは、経済価値をさらに増やすためにのみ使われてきました。モノとカネを福祉のために使う習慣が、日本には全く根付いていません。「富を貯めるとは各個人の蔵にモノを貯めることではなく、大地を豊饒に自然を豊かに、自然の中に富を貯めることだ」と言ったのはアイヌの人々だそうですが、豊富とか豊饒という言葉は元々は地球的な豊かさ、なるべく多くの種が共存していることを意味しているそうです。

これからは、モノとカネがあれば幸せだというのではなく、人間の方から豊かな社会を決めていかないといかない。ということのようです。

では、人間の方から何をどう決めていくのか、次回に続きます。

「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書
「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書 その1
「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書 その2
「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書 その3
「豊かさとは何か」暉峻淑子著 岩波新書 その4

投稿者 fujix : 14:33
2006年12月08日
 ■  日本歯科医師会雑誌「生きる力を支える歯科医療」3

続きです。

前回は病気になってから、死を前にしてからの生活、生きる力について書きましたが、その前に予防しようというのは、当然の発想です。最近は、医療費が削減されていますので、ついつい「予防することで、医療費も抑えられますよ」といったことをお話しすることもあるのですが、一番大切なことは医療費が少なくなくなることではなく、病気にならないことが幸せなことですね。本文中ではイギリスのローズの「予防医学のストラテジー」という本を紹介されていました。

やはり、医療費の適正化の問題もそれはそれで大変な問題なのでしょうが、大切なのはQOL、生活の質であるのですから、もっとそこに注目すべきだと思います。社会ではいじめや学校の問題をはじめ、いろんな問題がありますが、そこも生活習慣の変化(睡眠時間や昼夜の逆転)を理由としてあげる学者もいます。

生活の質を考える時、食べることは、その最たるものですから、もっとこだわってよろしいかと。

私もながら食べ(本が多いかな)を止めて、しっかり味わうよう、良く噛んで食べることにします。というわけで、このシリーズ終わり。いい特集でした。

投稿者 fujix : 08:28
2006年12月06日
 ■  日本歯科医師会雑誌「生きる力を支える歯科医療」2

ちょっと間が開きましたが、日本歯科医師会雑誌の今年の9月号(Vol.59 No6)掲載の「生きる力を支える歯科医療」という座談会の特集の2回目です。

QOL(Quority Of Life)生活の質という言葉がありますが、クオリティ・オブ・デス(死の質)という言葉が出てきます。死ぬ直前にお酒を一口飲んで美味しかったと言って亡くなる、そんな質です。

死の間際になると、それまで取り乱していた人も最後の何日かは落ち着いている、その中で食べると言うことは大切な要素と言うわけですね。

で、かなり厳しい闘病生活の中で、歯を治すということは、お医者さんも希望を持っているということで患者さんにとっては大きなことだと思います。放っておかれるってことは、どうせダメ(死ぬ)だから歯を治しても仕方がないとも、取れてしまうので・・。

そういう「いかに死ぬか」ということ「死と向き合うこと」の中で、私たち歯科医師も、いろいろと携わっていけたら、と思います。

次回最終回に続きます。

投稿者 fujix : 08:02
2006年11月30日
 ■  日本歯科医師会雑誌「生きる力を支える歯科医療」1

日本歯科医師会雑誌の今年の9月号、正確にはVol.59 No6に「生きる力を支える歯科医療」という座談会が特集されています。文化庁長官でもある河合隼雄さんと日歯の大久保会長らが対談しています。これが非常に面白い。河合隼雄さんの本は何冊か読みましたが、非常にわかりやすい表現ですね。

ここでも、「食べることに関しては味わっている感覚は本人だけのもの。」という話がありました。母さんが作った「とろろ」を食べて、うまかったのは「おれ」しかいない。と言うのです。確かに、友人がどこどこで食べたものがおいしかったと聞いて、興味があるのは「自分もそこで食べてみよう」と思うからであり、友人がおいしかった事ではありません。入院中の友人でもない限り。見るものは友人と同じものを見れますが、食べることは「自分が」食べるまでは共有できません。

食べることは日常になってしまうと「仕事」の一つになってしまい、ないがしろになったりします。食が乱れる、と言いますが、適当に食事を済ませる、とか孤食、個食とか、食の乱れは文明の乱れを表しているようです。

しかし、食べることは生活の中心であり、これが動物だったら歯を失って食べられなくなったら、即、死を意味します。食の楽しみはやはり深いもので、不登校の子が、あれが好きだ、あれが食べたいということを言い出したらたいてい学校に行くとも言っていました。

そのためにもおいしいもの、好きなものを食べないといけない、そして食器にも凝ってみようとか・・、食文化は文明を支えていますよね。

長くなったんで続きます。

投稿者 fujix : 07:41