藤田歯科へようこそ
三代目院長の藤田孝一です。
| 【略歴】 | ![]() |
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| 1970.4.23 | 直方市生 | |
| 直方南小学校〜直方第二中学校 〜福岡県立鞍手高校(第41回生) |
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| 1989 | 福岡県立九州歯科大学入学(43期生) | |
| 1995 | 九州歯科大学卒業、歯科医師免許取得 | |
| 九州歯科大学付属病院第二保存科研修医 | ||
| 1997 | 苅田町松延歯科医院勤務 | |
| 1999 | 藤田歯科医院勤務 | |
| 2009 | 藤田歯科医院継承 | |
| 【会員】 | ||
| NPO法人Well-being(旧称福岡予防歯科研究会) | ||
| ネパール歯科医療協力会 | ||
| 直方青年会議所(2007―2010) | ||
藤田歯科医院
1928年 小倉にて開業
1945年 直方に移転
1999年 現在地に移転
←1900年ごろ?
旧医院の思い出
私が物心がついた頃の記憶に、当時は自宅と棟続きだった旧藤田歯科医院があります。当時はまだ祖父も健在で、物珍しさも手伝って、暇な時はよく医院のなかで遊んでおりました。今にして思えば、患者さんにはさぞかし迷惑だったことだと思います。
小学生の頃、家に遊びにきた友達からは、「歯医者の臭いがするねー」とよく言われていました。そりゃ、歯医者なんだから、あたりまえの話ですが、自分では、臭いにも慣れてしまっていて、あまり気がつかなくなっておりました。
二中野球部の時県大会に出場しました。
中学、高校になると診療室に出入りすることも少なくなりました。自分ちが歯医者であることもあまり意識していませんでした。年に一回、学校の歯科検診のときに、どこかで見たような人が白衣を着ているので、よくみると父ちゃんだったりしたことが、唯一の歯科の記憶です。将来なりたい職業の欄には,小学生までは「プロ野球の選手」と記入しておりました。それが叶わぬ夢と理解できるようになった中学生以降は、これと言って,なりたい職業なんて思い浮かびません。そうこうしているうちに、大学受験を迎え、ついに九州歯科大学へ入学し、後継ぎとなるに至った訳です。
大学生になると、否が応でも、歯科のことを意識しないわけにはいかなくなりました。実習のやり直しを家でやったりしてました。
家が歯科医という友人は意外と少なく、随分と羨ましがられたものですが、勉強のためにと、診療室に入っていくことは余りありませんでした。意外とそういうものなのかもしれません。
それから、歯医者の子供だから,虫歯が一本もないかというと、そうでもありません。
写真は、小学1年生の頃ですが、歯を腫らして治療台に乗っています。
当時は歯科医院の数も少なく、虫歯は出来るのが当たり前の時代でした。ところが現在では、虫歯の数も減っています。
今、まさに時代は、疾病治療の時代から疾病予防の時代へとシフトしつつあります。藤田歯科医院でも、だんだん予防のために通われている患者さんも増えてきました。
皆さんは、歯を削られるのは好きですか?私は嫌いです。だから、人の歯を削るのも、もっと嫌いなんです。しかも、あの歯を削るタービンという機械(キーンというアレですね)、メチャメチャ高いは、精密機械なので,メインテナンスは面倒だは、大変なんです。将来は歯を削る機械のない診療室になるように、一緒に頑張っていきませんか?
健康づくりの場へ
歯医者だからと言って、歯の治療だけしかしないというわけではありません。歯や口腔内を通して、その人の健康を考えていけるような,歯科医院を目標としています。
というと、大層に聞こえますが、まずは「気軽に立ち寄れる場所」になるようになればいいなあと思います。
まだまだ至らない点もあるかと存じますが,これからもよろしくお付き合いください。
藤田歯科医院年報の冒頭あいさつ文章です。
1. 新築1周年を振り返る 2000.4月・・このページです。
2. 歯科医院におけるIT革命 2001.4月
3. 歯科医院におけるIT革命その後 2002.4月
4. 変革の時代のキーワードで見る藤田歯科医院の現在未来 2003.4月
5. 患者中心の歯科医療を目指して 2004.4月
6. カイゼンとチェック 2005.4月
7. 自己責任と信頼関係 2006.4月
8. 映画「県庁の星」と患者医者関係 2007.4月
9. 地域社会との融合を目指して 2008.4月
10. いま、ここ、そして未来へ 2009.4月